2DSTGの特性

 秋葉原でSTG。もう忘れましょう。
1000円くらい使って結果が出たのは蜂Ⅱで5ボス?6面。
次回はALLします。


 さて、忘れて2DSTGの特性です。


 地味、すぐ死ぬ、クリア不能


 3点セットそろっているのは2DSTGだけでしょう。
最近のテレビゲームはポリゴンを使用し、見た目は派手で綺麗です。
すぐ死にません。死ぬのは難所だけです。RPGなら開始10時間後くらいの。
クリアできます。努力すれば何らかの形で経験を反映しています。


 2DSTGは当たり判定が命です。ドット絵がいいんです。でも今更です。
すぐ死にます。ボムを使え。そこまで頭が回りません。
クリア不能。3分で死にます。30分も持ちません。


 つまりは一見さんお断りです。
初見でALL。エスプガルーダくらいです。
私にはできませんでした。むしろ2面終了。
当時のSTG歴は1ヶ月。最高でケツイ3面。
何の変哲もない一般人には無理です。


 2DSTGの場合、努力はすべて技術と情報という形で反映されます。
どんなにプレーしてもスタート時はスコア0、ライフ3。
そんな状況から上級者はスコア5000万、ライフ6まで持っていきALL
初心者はスコア20万、1面ボス終了。
スタートラインは同じなのに、結末が違います。違いすぎます。


 この違いが大きく出るのはまず技術的な側面を
置いておくと圧倒的な情報量の差です。
STG経験からくるものもあれば、システム理解、またそのゲームのパターン。
どれも初心者には欠けています。
STG経験が与えてくれる画面の基本的な見方、切り返し、弾幕パターン。
覚聖システム、ショットとレイピアの違い、当たり判定、決めバリア。
敵の出現位置、および攻撃パターン、1UPアイテムの取り方。


 インスト、およびデモで表示されることは何でしょうか。
システムに関してだけです。頭で理解できても体で理解はできません。
体が理解する前にプレーやめます。
その他の情報は何を使って調べればいいのでしょう。
雑誌、インターネット、DVD、ギャラリー。
そして何より自分が何度もプレーすること。


 しかし、当然重要になってくる技術。
技術を磨くためにするべきことは当然練習。
地獄のような練習を繰り返して繰り返してやっとワンコインALL。
でも、ワンコイン使ってます。さらにそれまでに何コイン投じましたか?
お金を払って努力をする。メリットありません。
それがSTG。


 お金で買えない価値がある。買えない価値はわからない。
お金で買える価値もある。じゃあ買える価値を買う。
至極合理的。


 2DSTGはシューターにとって何が最高の楽しみでしょう。
2周ALL、スコア、ノーミスノーボム。
確かに最終的な達成感は大きいです。
しかし、ほかのジャンルより強調されているのが何よりも過程です。
ケツイのエンディング、意味不明。
トライジール、ストーリー白紙。
むしろエンディングは2回目以降見ません。
そ ん な こ と よ り
スコアラーは稼ぎパターンを、クリアラーは安全パターンをそれぞれ模索します。
ワンコインという条件の下で解を探していく、これがSTG。
それが一種の知的好奇心でもあるからです。
どうすれば安定するか、よりよい進み方はないのか。
これを試行錯誤している時に楽しさがあるのでしょう。


 でも、そういう努力は好きじゃない人はどうすればいいのでしょう。
過程をもっと突き詰めてみましょう。
STGの定義は私なりには敵を撃つこと、敵の弾をよけること、この2点です。
それを積み重ねることで得られる得点。
敵を破壊することのサディスティックな快感、
圧倒的な弾幕を避けることのマゾヒスティックな快感、
ついでに、たくさん得点が増える快感。
もっと快楽的に楽しめる作品を生み出すことです。


 インベーダーに始まる敵破壊の快楽。シンプルゆえに成立しています。
近年では破壊したときの爆発エフェクトも派手です。
私の中でビッグコアのレーザーを真ん中でよけることに始まった弾よけの快楽は
怒首領蜂に代表される弾幕STGでは当たり判定を小さくすることで
弾避けをより快楽としています。
スコア稼ぎの楽しさはさまざまなシステムと複合させて派手になっています。
ケツイの5箱、ガルーダⅡの×500。
敵味方を邪魔しない程度の演出になっています。


 しかし、いわゆる一般人が目指しているものは何でしょうか。
ワンコインALLでもなければ、ましてや全一なんてありえません。
エンディング。
このためにゲームをプレーしています。
2周ALLするとスタッフロールが見えます。別に見なくていいです。
映画はスタッフロールになると帰ります。
連コインでもかまわない、家庭用移植なら無限コンテニューでさっさとエンディング。
敵破壊の楽しさも弾避けの楽しさなんかどうでもよし。
稼ぎなんか当然アウトオブ眼中。


RPGで培われた帰結主義はここでも発揮されています。
戦闘がだれてきたRPGが多くなった原因もひとつに挙げられますが、
RPGばかりを責めるのも酷です。


 PALは売れます。コードどこ?
コードのためにコストを払ってもうまくなろうという努力に払うコストはないでしょう。
エンディングを見られればいいから。
知的好奇心を満たすために必要十分なものはエンディング。
システムなんか知らなくてもいいんです。パターンなんか適当でいいんです。
B連でもいいんです。


 より効率的に、より合理的に。過程よりも結果。
努力は意味のあることに。さらになるべく形のあるものに。
間違ってはいません。
これ以上は人生の意味という飛躍した哲学を問わねばならなくなるので筆を置きます。
ただ、STGのエンディングは基本的にひどいです。
エンディングを映像として50円で見られます、といっても私は見ません。