ゲームにおける恐怖

 ゲームって結構怖いストーリーが多いんだな、と某所の
スレまとめを見ていて今更ながら痛感しました。


 DQで言えばDQ4のアッテムト関連のストーリー*1
DQ3の廃墟となった町テドン*2なんかは子供の時の印象が
非常に強く残っています。


 FFで言えば6の崩壊前から崩壊後への変遷、
5で無に飲まれていった人々、7の魔光中毒のクラウド
8は記憶にございません。


 他の有名ゲームでも「ゼルダ」の神々のトライフォースでは
「闇の世界」の描写があったり、マザー2のポーキー一家*3
FE聖戦シリーズの子供狩り*4、およびイザークの人々の奴隷化。



 また、私の独壇場で言えばアークIのシルバーノアによる
リバーシャの空爆やアークⅡの「白い家」関連イベント*5
アークⅢは確かに心動かされるストーリーが
ないこともないのですが、あっさりしすぎています。
ロマサガ1では当然ガラハド殺害、および冥府行き*6
3ではギドラントの洞窟なんかが恐ろしかったです。
ロマサガは選択肢のセリフのひどさもあがりますけど。
そして、愛するスターオーシャンは1では際立った
イベントはありませんが、2はまぁ、主人公そのものが
若干カオスチック*7なところとか。


 ちょっと無理して脱線しました。


 いかんせん、上述のものは人間の想像力で容易に補える
「狂気」を表現しているものが多いです。
ただし、想像を具象化させ現実的にあたかも体験できるのが
テレビゲームのいいところであり、この狂気がダイレクトに
伝わってくるのがテレビゲームのいいところです。


 当然気づかれているとは思いますが、いわゆるホラー系の作品は
私は全く挙げていません。というのも、これらは恐怖を体験することに
観点を置いているのであり、それに対して前もって覚悟することが
できるからです。
当然「バイオハザード」とか「かまいたちの夜」などは
結構な衝撃を与えてくれた作品でしたが。


 ただ、準備が出来ない以上これに対する年齢的規制を
設けることは出来ないのです。でも、そんな恐怖を感じることは
果たしてマイナスになるのでしょうか?



 結論から申し上げると私は全然ありだと思います。
狂気を恐怖と捕えるか、それとも常識として捕えるか。
それはまたさまざまな人間の価値観に委ねられていますが、
この判断基準に対してどんな価値観を持とうとするか、
これをある種試されているところがあります。


 非常にストイックなブラックユーモアを理解するには
子供では若干難しい、でも、これって怖いことだな、
これを直感的に教育するには非常に有益なことだと
私は考えます。


 直接的に恐怖を教えることも可能です。
何でか子供のときに読んだアウシュビッツの話は
やはり恐怖の何物でもなく、また強烈な印象付けを
私にいまだに与えているのは間違いありません。


 観点の与える恐怖というのもまた一興だと思います。
絵本が内包しているとてつもないブラックユーモアと
それに付随する恐怖。
これを体験できる形で提供しているのが
テレビゲームという考え方も出来ると思います。



 ただまぁ、何度もやりすぎるとガラハド
三拠点制覇のための単なる捨石に過ぎなくなりますけど。


*1:金を掘って豊かになりたい、という願望がエスタークを掘り当てたり、父親が子供のために働くも毒ガスで亡くなったり。

*2:住民は死んでいるにも関わらず、その事実を知らずに亡霊として彷徨っている。

*3:どこかのHPで詳しく掘り下げています

*4:12魔将がその選りすぐりであったり、ラクチェのセリフなど

*5:ミリルだけでなくジーンなども含めて

*6:「あなたはいままでにそうとうわるいことをしてきましたね。も含みます。

*7:敵「おまえたちも今まで散々命を殺めてきたのに。クロード「それはお前たちが悪いからだ!